雑感119 |
死への旅立ち
リクエスト
ここと違う世界があるのは確かだよ
これはもう疑いようがない
霊界通信の書は膨大にあるし
少しづつ解明されつつあるから
死後の世界の事は知っていた方が有利
この辺の摂理を悟ってこの次元で
生きる人たちは間違いを起こしにくいし
不安感も そう持たなくてすむ
何より恐ろしく長い間 本来の霊に戻り
住むんだから良いところの方が良いからね
即 霊界なんぞには逝けないと思うよ
霊界は波動の高い世界だから
余程 善根を積まないと
普通は幽界 下のランクの世界
強信な宗教を持っていた人たちも ここ
だとある
勿論宗教が悪いと言っているんでは
ないんだ でも そうらしい
宗教を持っている人達は 自分達だけは
素晴らしいところに逝けると本気で
思っているからね
だから日々頑張るんだから
書籍をよく読む人はこの意味が
理解できるだろうけどね
今世の執着 煩悩 垢
これらを洗い流せないと まず
上には逝けない
永い永い間留まることになる
それでも幽界にもいけない霊達が
いっぱいいるんだから まだまし
浮遊霊 地縛霊達の事
誰かが成仏させてくれないと
苦しい世界に留まる
数百年くらい いる霊達も沢山いる
余程残された遺族がマメに回向しないと
浮上することはむずかしいとある
だから苦しすぎて人に憑依するんだから
この次元はここに近いから
こんな事はよく起きる
いっぱい いるからね 周りにも
元々は我々と同じ人間していたんだから
幽界も思ったことは即現実になる世界
霊界の素晴らしさを知らないから
ある意味 幸せだろうと思うけど
しばらくは いいんだよ
でもいつまでもそれが続くと霊達も
飽きる
充実感 満足感すら味わえないからね
いずれ このままでは上にも永遠に
逝けないと知ることとなる
霊も目覚める
これでは いけないと
そこで又今世に転生を決意する
でも それが なかなかここに
来させて貰えない
それでも地獄界よりは十分ましだけどね
今の人類は暗黒と絶望の道を
確実に歩んでいる
本物の摂理を拒絶する人たちも
あまりにも 多い
今世では多分 彼らは悟れない
無知って本当に難儀なんだ
素直な人達は既に覚醒しつつある
自分は実は霊なんだ と
悟れた人達
素直にそうかもしれないと考え生き方を
ここで変えておかないと今後の
未曽有の天変地異や不和は
きついだろうと思う
何でここ数年色々と辛い事が
起こり始めたんだろうと
不安になっている人たちも多く
いると思っている
浄化の時期だというのも悟れていない
今や唯物主義 利己主義
これが蔓延しているからね
人のいう事も聞けない人が増えた
教えてあげようと思っても
無理な人というのはいるんだ
終わりのない摂理なんだけど
ここだけが全てだ と考えている人たちが
あまりにも多いから
今世に物にお金にしがみつく
自分だけを大事にする
本当は我々は神の一部で霊だから
本来は死といういうものはないとある
肉体から魂に移行するだけ
書籍ではそうなんだけど
怖いのは確かだよ
霊が本体で実在 身体が影
本体失くして影も存在しない
魂が抜け出たらこの体は
ただの抜け殻
神は過ちを犯すことがない
壮大な叡智の存在だから
巧妙に我々を創っている
この次元に生まれ来る環境設定は実は
来る前には本人も納得している
既に書いてはいるけど
霊格を上げるための最適な環境を
用意される
それでも人間として生を受けられるのは
幸せな事
霊格を上げあちらで素敵な場所に
住むことが出来るチャンスは貰える
生き様次第では あるけど
物事には必ず埋め合わせの原理があり
応報が厳然と備わっているから
摂理を知ることが本当に大事になる
楽な人生というものは ないよ
かなりむずかしい摂理ではあるよ
結構何度も読んだけど
理解できる範囲が限られているからね
我々が悟れる心理何て極わずかだよ
それでも全く知らない人に比べたら
有難い事では ある
やっぱり ここは修行の場だよ
善と悪の戦いでも ある場
今世は物質世界だから誘惑も多い
如何にして避け自分を高めるか
その後の人生と あちらが かかる
常に試されるからね
安易な人生からは価値ある人生を
受け取れない
困難な人生からのみ受け取るもの
辛いけどね そうなっている
悪いと知りつつする行いは
この埋め合わせの原理が特に厳しく働く
勿論 この原理の結果はここだけでなく
あちらでも続く
目先の結果 一時の勝利では
意味がない
思考すること
言葉を発する事
行動を起こすこと
この全てに責任を負うことも
覚えておいて欲しい
恐怖心があり素直でないと
人はこれらの摂理を
なかなか受け入れられない
残念ながら どんどん悪い方に悪い方に
自分が自分を導く事も多い
宇宙の摂理を深く理解し
その法則に背くことなく生きれば
みんな幸せに生きられるんだけどね
残念な事だと思う
欲しい欲しいと望む必要もないし
自分の為 社会の為に道徳心を持ち
感謝し畏怖を持ち謙虚に誠実に
生きてさえいれば いずれは望む人生は
お約束される
これ書かれているからね
信じたら良いと思うよ
善の心だけ持っていれば善しか
近寄れない
雑感を読めていればここでの生活は
一時期だと悟れるだろうし悩みは
必要だから起きることも わかる
あちらの世界を知るのは大事な事
ここで富裕層になりふんずり返っていても
あちらではそうはいかないからね
霊格の低い魂はあちらで後悔する
遅い
死への旅立ちだけど
これは諸説ある
国によっても 違うとも言われている
トンネルを抜けて光を見るというのもあるし
描写は様々
一つの説として捉えて欲しい
信じようが信じまいが自由
どうせ いずれ 経験するから
我々も何度も何度も経験してるけど
記憶にないからね
管理人は仏教はある程度把握しているから
これから書く説も 勿論信じている
信じている方が良い人でいられるから(笑
でも出来れば光に迎え入れられたい
と思っている
肉体から離れた魂は
まず暗いトンネルに入る
暗闇を抜け出ると
長さ3200キロメートルの
暗い険しい「死出の山」を登る
肉体が無く既に霊だから 登れる
山を下ると次が有名な「賽の河原」がある
三途の川にたどり着く
そこが この世とあの世の境界になる
三途の川の広さ4000キロメートルとある
ここは7日目にたどり着くと言われている
この川は緩やかな浅瀬から激流まである
黒く広大な川
生前の行いによって渡らされる場所が
違うと言われているけど
伝承上の川とも言う説もあるけど
仏教では本当にあると言われている
これ実際に見ている人も数多くいるからね
臨死体験した人達だけど
かなりリアルに体験するという
視覚 聴覚 嗅覚まで あるというから
臨死体験して川を見た人はこちらに戻ると
みんな生き方を変えるという
当然だろうね
向こう岸に家族の姿はないとも
言われている
人によって違うのかもしれない
家族や知人が迎えにきているというのは
どちらかと言えば光の世界の方が多い
三途は 「地獄道」 「餓鬼道」 「畜生道」を
現す言葉
平安時代からそう言われている
善根を積んできた人は泳がず橋を渡れる
重罪であれば 激流を泳いで渡らないと
いけないと言われている
又は「六文船」に乗って川を渡る人もいる
この説もあるから
昔から死者には六文銭を持たせて
旅立たせると聞いたことがあると思う
これは激流の川を渡らなくてすむように
見送るものが持たす と言われる
実際に葬儀でお金を死者に
持たせているのは見たことが ないけどね
民間伝承かも しれない
対岸につくと「奪衣婆」と「懸衣翁」の
2人の老人に衣服を剥がされ
「衣領樹」の木に自分の衣服をかけられる
濡れ具合で罪の重さを量られる
それから十王の審査が始まる
「殺生」 「盗み」 「不貞」 「うそ」
正直に話さないと罪は重くなるとある
どうせ全てわかるんだから
正直に言おうと思っている
罪の罪状が書き留められ鏡に
生前の行動すべてが映し出され
ここで本人は観念する
いよいよ49日目 「満中陰」
六道の淵
逝くところが決まる
この日に現世で必ず法要が行われるのは
死者を少しでも良いところに
逝かせる為と言われている
必ず六道のどこか
既に六道は書いているから省くけど
地獄(奈落)だけが辛いのではない
三悪道も厳しい世界
幽界であっても煩悩の多い苦しみの世界
ここでもかなりの界層がある
あちらは霊の世界だから
ここよりは厳しいと言われている
あちらで幸せに生きられる人もいれば
そうでない人も多くいる
上下関係はこの世の比ではないとも
言われているけど
目こぼしは一切ない
罪状は生き様そのもの
辛い処に落ちても先祖供養を日々
手厚くする人間がいればあの世にいる霊には
わかるし深く感謝してくれる
自分では既にどうする事も出来ない
固定されたまんまだから
落ちるのは簡単だけど上がるのが
むずかしい世界
この残された者の供養が無いと
いつまでも そこに留まる
これは霊にとってかなり苦しい事だという
大事なんだよ 先祖供養は
大きな大きな善根 必ずしておこう
我々もいずれ先人になるんだから
ここらは仏教でも特に大乗経が
説いている教え
微妙に違う説も多々あるんだけど
信じて生きて損をすることは
ないだろうから
少しわかっただろうか
2019年 9月 15日 次ページへ