雑感165 |
「この世にある喜びという喜びは
他人の幸せを願う気持ちから やって来る
この世にある苦しみという苦しみは
己の幸せを願う気持ちから やってくる」
やっぱり利他
これが出来たらそうは人生悩まなくてすむと思う
「愚かな利己主義者は常に自分の事を
考えています しかしその結果は
望ましいものではない
日中は あらゆる道徳に対する恐れを知らぬ
侮蔑もあらわに これ見よがしで がさつな
自信を持って振る舞っていても 夜一人になると
その心は暗く沈み 不安に怯えるのだ
仏性が完全に目覚め 無知から解放され
不死の心 悟りに至った心と一つになるまでは
生と死の巡りに終わりはない」
終わらないんだよ 今後も何度も何度も
来るんだよ この意味をよく考えようね
多くの人は悟れを開けず同じ人生を
繰り返すと書かれているから
「中には運よく他の魂より早くこの事を
学ぶことが出来る魂もあり自己を
完成させるまでに費やす物質界での
人生を少なくすませる場合もある
その素質は様々だ 私たちはみな それぞれ
自分なりの時間で学んでいくことになる」
早くに「輪廻転生」や「カルマ」の意味を
悟れた人達は幸せな人達だと
いう事が出来る
いつまでも同じ生き方をしていたのでは
未来永劫 辛いよ
辛いほうが良いのであれば そのまま
本能で生きれば良いよ
偉そうなことを言い偉そうに振る舞っていても
人間なんて弱いもの
やっぱり人と人との繋がりに癒され助けられる
悩みが大きいほど癒しは必要だからね
でも我々は今辛くてもきちんと生きてさえいれば
いずれ勝ち得た界層に逝ける
心配しなくて良い
酷いカルマさえ積まなければ何とかはなる
これを本気で意識しておこう
「霊界に逝っても他界した時のあなたの
心の状態は存続している」
間違いなく まんま
他界する時には満足出来る状態にしておこう
必ずそうしておこう
少々の辛い事なんぞどうって事ないよ
ここはなにせ一瞬なんだから
リクエストです 「霊界の概要」
「とにかくその色彩がすばらしい
この世と比べると すべてのものがずっと
生き生きとして 鮮やかだ
霊界ではどこも実に生気にあふれている
想像してみて欲しい 衰退 病気 拒絶など
何一つ存在しない世界なのだ
息を飲むほど美しいアストラル界の庭園には
かつて目にしたことのある ありとあらゆる
種類の花と木が満ちている
霊界に流れる川の水は 澄み切っている
その1滴1滴が まるでダイアモンドのような
輝きを放っているのだ
心の平静を手にする権利を得た魂は
邪魔されることなどない
幸福については それぞれ異なった理想を
抱いているものなので数多くの選択肢が
与えられることになる
光の明るさも魂の成長という名の梯子を
登るにしたがって強烈なものになっていく」
何となく掴めたかな あちらの世界
勿論 今世よりははるかに素敵な処だよ
ここはどうであれ修行の場だから
頑張って生きてここに逝こうね
より善良な人間になれば ここに逝くことは可能
自己中でなければ 大丈夫だから
地上界では手に入れることの出来なかった物
集中して望めばあっという間に自分の目の前に
現れ手に入れられる
マジシャンの世界と同じ
信じられないだろうけど本当みたいだよ
だから ここの不自由さは我慢しようか
豪邸であろうがジュエリーであろうが
ブランドの服であろうが 御馳走であろうが
何でもとある
意念による創造力が必要なところ
知らないものは創れない
美味しいご馳走も知らなければ創れない
境涯を広げ見分を広げ幅広い知識を
持っていればそれらは可能になる
あちらでは環境は全て自分で創る
今世でも同じではあるけど努力や資質が
無ければ手に入れられない人も多くいるけど
あちらの世界は関係ないんだよ
望むものを創れる
飽きれば又違うものを創造して
創り変える そういう世界
これ読んだだけで逝っても良いぞと思ったね^^
だから 出来るだけ良い人している
わがままな管理人が
自分の甲斐性の範囲で良い関係性の
人達にはという意味だけど
全ての人には勿論 無理
煩悩を失くす方法
仏教の教え
★ ものの見方を正しくする
★ 欲を押さえ鎮める
★ 考えを正しくする
★ 何事も耐え忍ぶ
★ 危険から遠ざかる
むずかしいよ これ
「人が心を修め心を鍛錬しておけば
現在においても未来においても
幸福を得るだろう
愛欲を貪り求めて満足を知らない者は
たいまつをかかげて風に逆らいゆくような
ものである
手を焼き身を焼くのは当然である
自分の心を欲しいままに してはならない」
人は愚かだから心して生きていないと
本能で生きるようになる
罪悪感も無しに
楽をしたい 良い思いをしたい 尊敬されたい
苦労を避けたい お金に困らない生活をしたい
これでは修行にならないからね
因が先 行動の後に果
苦労をしないと人は感謝が出来にくい
生き様次第であちらでは思うようになるんだから
修行の場のここでは苦労はしておくべきだと
思うけどね
あちらでは出来ないから
これは東日本の方のエピソード
生きるか死ぬかの極致に追い込まれ
長い間不自由な避難先に住む
大変な経験
普通の生活に戻って やっと当たり前を
取り戻す
わがままだった妻が
避難先が余りにも辛かったもので
安普請のプレハブの家でも
暑いよ 寒いよと以前ほど言わなくなった
仕切りがある家に住めるだけで
幸せだと言うようになった
お風呂に入れるだけで幸せだと
言うようになった
好きなものが作れ食べられる環境を
ありがたいと言うようになった
気兼ねせずに寝られるのもありがたいと
言うようになった
こういう事なんだろうね
ここで普段の生活の有難さを本気で悟り
感謝を本気でする
感謝しないと運気は落ち続ける
辛い事なんか経験しないほうが幸せだと
人は思っている
そうでは ないと思うよ
我々も今後いつ同じ目に遭うか
わからない
我々がそのカルマを背負っているのなら
遭うからね
幸せの意味を悟る為に辛い事象を
起こされるんだと思っている
でないと人はどこまでも傲慢になる
傲慢が偉いのではない
偉い人達とは常に謙虚な人達だよ
勘違いしている人が 余りにも多い
この辺が本気でわかって生きている人達は
縁する人に尽くしながら生きて
偽善者ではない生き方を選ぶ
「身近な人から痛みや喜びを与えられるとき
そこには なんらかのカルマ的な目的があります
ここで覚えておくことは 私たちは自分自身の
レッスンを学ぶためだけでなく 他人の学びの
ドラマの中でも役を演じるために
この世に やって来ているという事です」
周りに常にいる人たちはお互いに修行友達
大事にしよう できる範囲くらいは
困っている人くらいは助けてあげよう
見返りを求めずに
してあげた してあげたと思うのも止めよう
偽善者になりたくないのであれば
本気で自分が幸せになれるように
努力くらいはしようね
あちらが かかっているから
今世は縁した相手には幸せをあげられる人に
なっておいたほうが良いよ
人は自分を認めてくれ良い気分に
させてくれる人を求めるから
みんなはしてあげられるポジションにいるから
問題はないよ
自分の幸せの度合いはどれだけ相手を幸せに
出来たのかという度合いと比例するんだから
法則だけは1ミリも裏切らない
2021年 2月26日 次ページへ