雑感207 |
本当に厳しいカルマの大掃除だよね
これでもかと出てくる
「慈悲深い神がどうしてこのような苦しみを
与えるのかとたずねる時 彼らの答えはいつも
驚くほど似通ったものです
魂は創造主に由来し懸命な努力を促すために
完全な安らぎを遠い彼方に置いたのだ
神にまかせきると申しても それは自分で
最善をつくした後のことじゃ」
だって
試されているんだね やっぱり
厳しい修行だよね
これからは覚醒する人が増えることだろう
この言葉 多分 書いている
「人類の無意識に潜むあらゆる残虐性 獣性
エゴイズムを人類の意識から一掃するために
大浄化の機会としてこの大艱難を設定したのです
これから人類は未曽有の混乱と苦しみを
経験することに なるのかも しれません
あちこちで大地震や火山噴火が頻発し
人々はこれまで経験したことのないような
不安と恐怖に襲われるでしょう
苦難が人生の全てではありません ほんの一部に
すぎません
が苦難のない人生も又考えられません
それが進化の絶対条件だからです
地上は完成された世界では ありません
あなた方の身体も完璧では ありません
苦しみ抜いてそれを乗り越えた時 思いがけなく
見渡す新しい心の眺望 その瞬間に味わう
魂の奥底から湧き出る喜び それを本当の
悟りというのでは ないでしょうか」
この今であっても何度も何度も来る人生の
一コマにすぎない
わかっては いるんだけどね
次元の事に縁すらしない人たちは
戸惑うのは 当たり前
我々は今までが幸せすぎた
これも 当たり前ではなかった
人間は本当に愚かだから
動物たちのほうが慈愛に溢れている
流石 五濁悪政の末法だよ
これからは人と人との繋がりも
大事になってくる
人と人との出会い これも必然
その時に持っているエネルギーで
お互いが引き合う
良いエネルギーを持ち続けていれば
良い人と縁しやすいのは本当だけどね
長い縁が持てる相手というのは
間違いなくエネルギーに違和感がない関係性
人は違和感を直感や潜在意識 行動で
判断する
愛さえ忘れなければ そうそう辛いことは
起きないんだけどね
交流の中で互いがお互いを大事にし
愛を受け取り合うから
愛を溢れるほど持ち実際にそうして
生きている人は幸せになりやすい
反対に愛を貰いたい貰いたいと
常に思っている人は
与えないからいずれ受け取れなくなる
自分が持つ福徳がある間だけ
福徳は失くしたらいけないもの
失くすと厳しいんだよ
後は前世からと今世で作ったカルマを
受け取りながら生きるようになるから
愛のエネルギーは大きいんだけどね
愛は与えただけしか戻らない
今後この意味がわかってくるよ
善根貯金がどれだけ貯まっているかで
環境が変わるから
出来ることをして友人知人に愛をあげる
まだ我々はそれを出来る次元にいる
惜しげもなく愛をあげよう
未来の自分の為に
出来れば無欲で尽くし器を広げておく
良いエネルギーを常に発散していれば
良い人が寄りやすい
引き寄せが働くからね
ゆっくり年を重ねるごとに境涯を
上げておけば良いよ
そうすれば快適な環境になるから
環境を知られるということは心の中を
知られるのと同じ意味
だから法則を悟っている人は簡単に相手を知る
こんなこと普通の人は知らないからね
年と共に良い環境にしようね
そこらも生き様次第だから
ガチで禊の時世だから利他に生きていないと
不和が起きやすくなる
管理人は色々な思考をする
ここで自分の寿命が後1カ月だと
仮定してみる
どうするだろうかとね
多分そうは生き方は変えないだろう
更に周りの環境を快適にするくらいで
あちらの世界が少しだけ読めているからね
「只今 臨終にあり」だよ
ここらも想像力
いつまでも いるところでも ないし
こういう思考が出来始めると楽になるんだけどね
辛い辛いと思っている人は辛いことに
一生懸命エネルギーを注ぐから
更に辛い事象を受け取る
自分でその環境を作り出しているということを
悟れない限り続くからね これ
良い事なんか起きないと思うよ
楽しみのない日々はつまらない
こういう思考は捨てようね
思考が現実を作り出すんだから
なるべく良い人たちと交流しようね
良いエネルギーを持っている人たち
おすそ分けして貰えば良いんだよ
運気が移るのは本当だから
法則は裏切らないから
逆らって生きていたって自分が辛いだけ
自分の人生は自分しか変えられない
ここで本気でメンタルを鍛えておこう
今後本当に大事になってくるから
期待もしないで生きていこう
いずれわかるよ この意味が
「もしも皆さんが自分が肉体をたずさえた
霊的存在であること
地上界が全てではないことを
自覚してくだされば 賢明なるあなたは
自然の成り行きで未来の生活の場である
死後の世界にそなえた生活を送るように
なるでしょう
あなたの行為の全てが到達した霊的覚醒のレベルに
似合ったものに なるでしょう」
2022年 5月28日 次ページへ