雑感71 |
「今のあなたはかつてのあなたであり、
未来のあなたは今のあなたなのだ」
仏陀のお言葉です
自分の今いる環境 周りの環境
申し分ないと思えるのなら
境涯も高く善根もかなり積めて
いると読める
全ての想念 行動に対する結果
仏教では「因果応報」
宇宙の法則では 「原因と結果の法則」
「心の法則」 とも言う
こんなことくらいどうって
事ないだろう どうってことあるんだよ
実は どんな小さな事であってもね
カルマの法則は「人に気づきを与える」という
目的で働くようになっているとある
もし気づけなかったら 人は好き放題
本能のまま生きやすい 当たり前だよ
本能のままに生きるのはストレスもなく
楽しいからね
できれば管理人もそうして生きたいよ^^
でも我々は修行をしに来てる身
少しくらいの辛さは当たり前だろうね
それでも管理人は結構好きな
事をしてるほう
元々したかった仕事だしね
全てに規制もなく自分で決められるのが
特に気に入ってる
一人で細々とやってるから
自由度はかなり高い
稼いでお給料を払う人がいないから
お金 お金 儲け 儲け
と考えなくていいしね
満足度も幸福度も充実度も高い
ありがたいことにお客様にも
恵まれているから
感謝しかないと思ってる
これ以上は望んでないんだ
人には身の丈ってものがあるから
これ以上背伸びもしない
背伸びは爪先立ちと同じだから
昔は本当に忙しくって人並みに
お休みもとれなかった
休めたのは病気をした時だけ
やっと自由な時間が少し持て始めた
時間ができて嬉しいというのも
変なんだけど楽になった
歳もくってきたしね
日曜日もお休みがとれて
更に幸せになった
それでも しないといけない事は
かなりあるから あんまり暇してるって
感覚はない
でもすることがあるということも
幸せな事だと思ってる
若い時に十分苦労して老後
ゆったりというのは
ありがたいからね
30代の頃からギブ&ギブの
生き方を選んだ
苦労した分だけは実になった
これ熟年で苦労すると
本当に厳しいんだよ
でも今の時世は生きにくい 本当に
楽しみが少なすぎる人の方が多い
心の底に辛さを押し込めると
鬱になる 自分なりの発散方法を
持っておこうね 必ず
この国は確かにわりと良い国
しかし先進国でありながら人の
幸福度は恐ろしく低いんだ
結構 息苦しい国になりつつある
日本ではないんだけど最近お金で
幸せは買えるというデーターが出た
とあった
管理人は全ては買えないとは
思ってるけど 今の時世はないと
これまた辛すぎるのも確か
時代性だね
資本主義が壊れるまで続くだろうね
今夫婦で稼いで生活している人が
どちらかがもしリストラされたら
これは厳しい
更に両方がリストラされたら今後は
厳しいではすまない
払うもの全てがどんどん上がってくるから
これで介護の必要な御老人でも
いたら悲惨すぎる
貯蓄が底をついたら
セーフティネットしか方法は
ないだろうと思う
でももう 政府は手を
打たないだろうね
打つのなら今までに何とかしてる
ゆっくりだけど確実にここらに近い
人達が増えてるんだ
これは起こりうるよ
と言ってきたよ 何度も
辛い 辛いと思いながら
生きている人が増えた
ああこれは昔あの人に嫌な
思いをさせたから
今自分にここでこうして現れてきたんだ
と人は思えないだろうからね
気づけたのなら幸いだけど
人は都合の悪いことは忘れやすい
嫌な事ばかり 辛い事ばかり起きると
思うくらいだろうね
本気で運気を上げる努力くらいは
常にしておこう
先がかなり厳しいから
今この時期 法則を露ほども知らず
カルマを出されて慌てている人は
多くいることだろう
我々が当たり前に人と接して話す言葉
心の中の無意識の思い
意識していなければね
普段の自分の言葉の癖を
よ〜く考えてみてほしい
常に相手に対して誠実で真心の
こもった言葉ばっかり
発してる人のところには
人は寄っていきやすい
キツイ言葉でも相手の為になる
言葉なら良いんだ
いかなる時でも常に相手の為に
という意識はくみ取られる
反対にブラックジョークギリギリの
言葉をわざわざ選びこの人には
このくらいのことを言っても
どうってことないだろうと 常に思って
いるとしたら
それは難なく発せられるだろう
相手に対して同等でなく優越感に
浸りたいと思う人がよくこれをやる
もしくは自分が満足出来てない時だろうね
ギャラリーがいたら特に
僕は私はこれだけのことがこの人間に
言えるんだ とね
小さくて とても損をする優越感
こんな言葉使いを相手にしないほうが
良いのになとは思う でも言わない
言われたら相手は気に入らないのが
わかってるから
人は手痛い思いでも
しなければ変われないからね
ひょっとしてある病気かもと疑う事もある
勿論言わないけど
暮れにも遭遇 銀行でソファーで
待っている時に20代 どうみても
ラフな格好 平日の昼間
ジュエリー つけまくり
ありったけ つけているのかい?
お勤めされているような恰好ではない
ここまでなら よくいる女の子
スマホで話しながら入行
お友達と話してる様子
スマホをなかなか切らない
人を食ったような話しぶり
手短にするか人のいないところに
普通行って話しないかい
思わずもう1度顔を見たくなったけど止めた
失礼だからね たぶん一緒に居た人達も
見たかった筈(笑
あぁ この子もきっちりカルマを
背負う子だなぁ と
今は若くて可愛いから許せるんだけどね
それも若いうちだけだよ
続くと怖いよ 心の癖が出来上がるから
知らないんだろうと思う
相手がその言葉を投げかけられた時
例え笑顔でいたとしても心の中で
失礼な人だと思っているということを
賢く生きている人は本能のまま
生きていないから
あまり態度には出さない
それに人は言わないし
教えてくれないからね
自分が恥をかいていることすら
わかってないだろうね
こんな生き方を長い間してると
当たり前になり そういう心の癖が
ガチガチに出来上がる
いずれ人生がつまらない
ものになりやすい
高慢で人を見下す人となんか
いたくないからね
人に大事にされたかったら
優しさは必要 人格を疑われる
気がついてない人は日々同じ事を
繰り返すんだろうね
幸せが寄っていく筈がない
残念な生き方
人は常に自分の境涯で
相手を観て判断する
以前
言葉はコミュニケーションツール
としては役割は大きいと書いた
本当なんだよ
自我が強いのが偉いのではない
賢く生きてる人は自我を抑え込み
コントロールしながら生きてるから
管理人も商売初めの新米のころ
某社長夫人を怒らせているから
言葉の怖さはよく知ってる
1度言ってしまった言葉は二度と
元には戻せない
もしその社長夫人が我慢して
その後も管理人の店にきていたと
したら管理人は気づけない
ありがたいと思ってる
そのままなら先でもっと苦労した
だろうからね
飲めや歌えやの時代が終わって長い
本格的に生き様がものをいう
時代に入ってる
カルマもバンバン出始めてるし
今までも出ていたんだけど世の中が
不景気になったから
余計 わかりやすくなったということ
人はね お金や仕事がある間はわりと
許せることが多いんだよ
ま、いいか と
どちらかが欠けたら気持ちが萎えるからね
良い事象より悪く辛い事象の方が心を
占領してしまうから
許容範囲がグっと狭まるんだ
これは みんな同じ
日々人に出会って悪いカルマばっかり
作ってはいけない
いずれ忘れた頃 気持ちよく出される
言葉一つでカルマを背負うのはキツイから
相手には常に言葉使いにも気をつけよう
今後は良いことをしてきた人にしか
喜べることは 起きづらいだろう
と思ってる
素直に生きてる人というのは
どんな小さなことでも
喜んで感謝ができる
人は偶然そこにいる訳ではない
縁があるからいる
世界中でこれだけ人がいるのに
その場所でその時間にその人と縁をする
遠くにいる人を大事には
なかなかできにくい
今そこにいる人を大事にしないと
何処でするの?だよ
大事にしておかないと自分も大事に
されないのは道理
嫌われる生き方を選んでいる人は
どこででも誰にでも
同じような事をしてることが多いからね
心の癖がそうさせるんだから
残念な生き方は止めよう
幸せに生きてる人は常にそう
思ってるから幸せを寄せてる
できるんだよ みんな
そう本気で思えばね
何にでも感謝する癖をつける
当たり前のことを当たり前と思って
感謝しないから 幸せになれない
人は縁する人を観てかなりの
事を判断する
服装について少し触れておくね
わかりやすい書籍を読んでるから
心理学だけど
知っていて損はしないから
「人は服装を観てその人が
どんな人間なのかの
メッセージを読み取る
その人の地位や経済状況 信頼性
教養 生い立ち 古くからの習慣に
どの程度こだわって生きているのかを」
「あなたの服装は あなたの価値観と
暮らしの状態について
いつも周囲の人たちに話しかけている」
「服装はまだ周囲の尊敬の念を集める
役割を果たしている」
服装一つをとっても相手に
判断さす材料は大きい
常にドレスアップをしとこうというのではないよ
あくまでTPOに合っていれば良い
みんな仕事の時とプライベートな時
とでは違うからね
年相応の痛くない服装なら大丈夫だろうね
これがね ちょっと名の売れてる要人が
あまり良い恰好をしてないと逆に
好印象を与えることもある
あの人は偉い人なのに恰好にも
こだわらないとね
人の心理ってかなり 面白い
これは要人に限るんだけどね
普通の人は無理
行政あたりに出向いてジーンズに
綿シャツあたりで市長に
アポをとりたいとお願いしても
なかなか 難しい
人は見かけで判断される
やっぱりスーツを着て出向く方が
有利になる
その人が相手に与えるノンバーバルは
意外と大きいということだけは覚えておこう
「人は知的で優れた技能を持ち
道徳観のある人物に惹かれる
形からでもそれはできる
だらけた服装をいつもしてると
心もそれに従うようになる」
「人は見かけではないという人も
いるかもしれないが
それでも見かけは大切だ」
「衣服が人を作る」ということわざには
大きな真実がある
人は服装によって人格を身につけていく」
「特に女性は宝飾品も年相応の
恥をかかない程度のものを一つくらい
過度につけては品がなくなる
過度の宝飾品は私はみんなの
注目を浴びたいというメッセージになる」
持ち物や服装は本人の人格を
豊かに表現してしまう
特にホワイトカラーの人は目立つことは
あまりしない人の方が多い
人が観るのは身に着けている物
だけではない
その人の能力や品格や誠実さも観る
何も深く考えずに生きている人は
この辺の事は気がつかないかも
しれないね
お客様は持っているのはわかって
いるけど最近は誰も一つもつけてない
時代を読んでるんだろう
昔はつけていたから
よく観せてもらっていたけどね
みんな流石 石にこだわっていた
みんな見せびらかす必要性を
感じていないのだと思ってる
外して観られても恥をかかない物を
お持ちだった^^
夜は お出かけの時には
つけてるらしいんだけどね
だから管理人も普段はつけない
お客様より目立つ必要はないから
「良い習慣を求めないことは
悪い習慣を助長することになる」
「私たちは果たすべき役割があり
それを果たす必要がある
その役割は 「仕事」と呼ばれている」
「権威は自らの存在感によって
示すべきもの」
人は他人に常に色々なメッセージを
与え続けている
服装ですらそれだけのことを
アピールしてしまう
言葉や行動ともなれば もっと大きい
エネルギーだからね
善根か悪根になる訳だ
社会生活の能力に長けた人は常に
相手に不快な思いを
与えないようにこまごまとチェックを
吟味をしてるからね
そこらを常識と言うんだけど
相手を大事にするという思考は
社会や友人関係を快適にする
というだけでなく
ひいては自分の生活も
充実するということ
普段から境涯を高める努力を
している人たちは
この辺を悟っている人達だろうね
思うような人生を歩みたかったら
努力は必須
日々の小さな努力がいずれ
大きく実を結ぶ
本能のまま生きられて成功する人は
ごくわずかだろうからね
カルマの法則でもっとも大事な事
「カルマの大きさを左右するのは
行為の大小ではなく、
行為の裏にある意志や動機である」
大事な言葉だと思ってる
人って昔の事はわりと忘れるからね
カルマの方は忘れないんだ
条件が揃ったら必ず起き始める
悪い種さえ蒔かなければ良いんだから
そう心配しなくていいよ
したことがカルマとして必ず戻ってくるのが
わかってるんだから 今年もできる限り
良いことをして生きていこうね
人生長くないから あちらでも楽しいぞと
思えることのみ して生きていきたいよね
皆様 今年も どうぞよろしくお願いいたします
2017年 1月 5日 次ページへ