雑感162 |
厳しい内容ととるか そうでないかは
これまでの自分の生き様
ま みんな余裕で読めるだろう
カルマの辛さは体験 体感するまで
消えないところ
通り一遍の善根では消せない
人はしてきたことからは逃れることは
出来ない 何をもってしても
それさえ知っていれば問題はない
でも物は考えよう
同じ事を体験さえさせて貰えれば消えるのは
ありがたいと思っている
我々は未来永劫 どうせ死ねないんだから
永遠に苦しみ続けるよりは まし
そう考えようと思う
知らない人達は この今も積み上げて
いるんだろうね
管理人は凡夫すぎて まだ神の采配の
ありがたさはわからない
行動を起こす前には思考があるから
ここさえ間違っていなければ良いんだけど
人は短絡的に考えるから
人にお会いして思考 行動を
見せて貰えれば その方がどうなるかは
大体 わかるようになるよ
あと人相だね これは中高年にでもなれば
既に出来上がっているから
お顔は生きてきた証 生き様で出来上がる
この方は今後も幸せに生きていくんだろうな と
本気で法則が理解できるようになれば
誰でもこれは わかると思う
幸せになる人は幸せになる行動を
常にしているから
その為には時間とお金と労力がいるから
仕事も頑張るようになる
人に無欲で尽くし続けていれば本当に
嫌なことは起きなくなる
これは嘘ではない
小さいのはあるけどね 気にならない
これ凄く楽な生き方だと思う
尤もこの生き方を30代からしてきているから
当然だと思っているけど
人に喜ばれることのみ する
これだけ簡単なことだよ
今自殺者が増えているから
少し突っ込んで書いておくね
自殺程 損なものは ないから
「死んだつもりなのに相変わらず自分がいる
そして逃れたはずの責任と義務の観念が
依然として自分に つきまとう
その精神的錯乱が暗黒のオーラーを造り出して
それが外界との接触を遮断するのです
そうした状態のまま何百年も苦しむ者がいます」
自分を苦しめて追い込むのは止めよう
因果律を知っておいて欲しい
縁しておいて欲しい
急がなくてもどうせ死ねる
普通の死でもまんまでやっぱり逝くからね
このお言葉も覚えておいて欲しい
「死は罪多き人間を聖人にするものでもなければ
愚か者を賢人にするものでも ない
私たちが他者を傷つけるとき 私たちは
自分自身を傷つけているのである
本性は生前と同じであり地球時代と変わらぬ
欲望 習慣 信条 間違った教義
死後に関する無知や不信を そのまま携えて
霊界入りするのである」
霊界通信の書籍等は 全て
ここで この物質世界 人間世界で
正しい知識を得て正しく生き
あちらで苦しむことのないように
上級霊が教えてくれている
素直に受け入れたほうが絶対良い
「天国的な波長の細やかな世界に行くほど
菜食に近くなり 地獄的な波長の粗い世界に行くほど
肉食となる
地獄界の下層部では 餓鬼と化した者たちが
動物の腐った屍を食らっている」
管理人も餓鬼界は強いほうだけど
嫌だよね これ
進化向上の道は辛くても永遠と説かれているから
信じようか
「肉体が死を迎えれば 全て無に帰するという
考え方は誤りである
死とは次元の異なる世界に移行する時に
起こる現象に過ぎない」
厳かなる死は実は一つの現象
人は亡くなった人を追う
もう二度と会えないと思っているからね
「恐山」に行ったり「イタコ」と言われる霊媒師と
お会いして亡者を感じたい
どうしているのか知りたいと思う
わからなくは ない
霊界通信を読むまでは出来ることなら
これが出来たらと思っていた
でも この霊媒師は本当の故人と接触しているのでなく
地縛霊が故人が さもここにいると見せかけて
遺族が喜ぶ様子を見ていると言われているから
これは本当はしないほうが良いらしい
これもし次元の事を悟っていれば
又会えるのが わかるんだけどね
本当は死は悲しむべきことでは ない
不謹慎で叱られそうだけど
管理人は 早くにこれを知り かなり
楽になっているから
どう捉えようと自由だよ勿論
現実世界は思うようにならない事に
溢れている
それでも あちらより ましなんだ
これはカルマをいっぱい背負って
あちらに逝った人たちという意味だけど
キツイね 辛いよねと言える家族 友人も
いるだろう
気分転換も出来るだろう
寝ることも出来るだろう
努力することも出来るだろう
美味しいものを食べられるだろう
お酒も飲めるだろう
「見返り根性」 テイクの事
これを捨てると幸運の歯車が回る
と言われている
見返り根性 これ持つ人が大半
因果律でも知っていないとね
ま これで普通だけど
「私達は神の事を天にある巨大な自動販売機の
ように捉え祈りを対価に対して願いを
叶えてくれる存在だと思っている節がある
お賽銭もほどほどに上げましたし こんなに
熱心にお祈りしているのですから
そこそこのご利益をどうぞ私に与えてください
つまり祈りというコインを入れてひねれば 神が
何かを与えてくれるだろうと期待するのだ
神を讃え自分がいかに崇拝しているかを
示すことで見返りを求めるのだ」
これよく わかるよね
管理人も昔これをやっていた
「草も木も鳥も犬も そして人間も みんな
この世に生きる同じ生き物です
草木は大自然の営みに何一つ逆らうことなく
風雨や冷熱にさらされながら生きていますし
動物たちも また その日一日を食べていければ
不平一つ言わず誰も憎まず生きています
我々人間は思考も感情もある動物を殺し
食し のうのうと生きている
罪悪感も無しに
もうそろそろ この意味を考えたほうが良いかも
しれないね
人間は同類の生物である他人よりも
自分が少しでも恵まれるようにと
欲の心だけで ひたすら御佛に願いごとを
するのです
人はどうでもいい 自分だけがよくさえあれば
それでいい」
こういう言葉に触れると自分がいかに傲慢で
わがままで愚かかという事を思い出せる
こうした自分だけの為の祈りを人は
当たり前のようにしているよね
これでは ここでも あちらでも幸せには
なれないと示されている
必ず相手の為に だよ
「もし あなたが完全になりたいと思うなら
帰ってあなたの持ち物を売り払い 貧しい人々に
施しなさい そうすれば天に宝を持つようになろう」
2021年 2月 5日 次ページへ