雑感213 |
人生の多岐にわたる悩みのために
自分を自ら苦しめる生き方をする人もいる
受け止めて諦める
自分がそうしてきているんだから
「惨めな境遇の中で生きている為に この世界を
慈しみの源泉でであることを疑う人達がいます
繋がりのある存在たちと演じ合う
これらのレッスンで逆境に打ち勝てば
未来の生では不愉快な人間関係を
繰り返さなくても よいかもしれません」
自分のカルマをクリアする為に周りに配役がいる
傍にいる人 入って来る人
あの人もこの人も必要だから傍にいる
偶然ではない
それらの人 物 事をどう扱うかは自分の裁量に
任されている
「この世の苦難は私たちに授けられた試練という
名の機会です
現在の状態は過去の原因が実を結んだ結果であり
この結果が将来の状態の原因となる
今のこの生で自己に出来る限りの責任を負わなければ
苦しみは先々の生にわたって続いていく
それも数限りない生にわたって続いていくことに なる」
この言葉は大事な言葉だから
以前にも書いている
数限りない生であってもクリアしていけば
いずれはカルマは消せる
有名な画家Gのエピソード
彼は自分を孤独だと感じていた
たま〜に人と会うと相手のことを思いやれず
自分はここにいるのだと自己主張のみをしてしまう
感謝を忘れていたのかも しれない
だから自殺を選んだんだろうね
あれほどの才能を手に入れていたのに
人間として生を受けることが有難く難しいということが
悟れていないから
お釈迦様が弟子「阿難」に諭すところがある
人間として生まれるのがいかに難しいか
これは仏教でも有名なお経
「盲亀浮木」(もうきふぼく)の例え
興味があれば調べてみても良いかもしれない
当たり前でも偶然でもないということがわかる
むしろ奇跡に近い
人間として生れ出る難しさがわかっている人は
決して自殺は選ばない
「まず三悪道を離れて人間に生まるること
大なるよろこびなり
身は賤しくとも畜生に劣らんや
家は貧しくとも餓鬼に勝るべし
心に思うことかなわずとも地獄の苦に比ぶべからず」
煩悩とは字のごとく 「煩わせ」「悩む」心
おおまかには3毒
貧 とん(執着)
じん (増悪)←じんの漢字がない
痴 ち(無知)
人には百八の煩悩があるとも言われている
除夜の鐘を百八つつくのもその為
1年間の煩悩を祓っている
人はどんなに欲しいものを手に入れても
お金をどんなに持っていても素晴らしい家族がいても
地位も名誉も手に入れても煩悩から
逃れられないとお釈迦様が説いている
人の欲望には際限がないから
ある人は更に欲しがる
お金持ちほど そうだよ
満たせば満たすほど更に欲しくなる
だから我々が煩悩から逃れるのは至難の業
ほどほどを知っていないと苦しむ
「足るを知る」生き方
地獄 餓鬼 畜生 3悪道だけど
この2番目の餓鬼
悪い事をした子供に対して卑しんで使う場合がある
大人でも餓鬼界の強い人も勿論いるけどね
与えず奪うことのみして生きている
悪業の報いとして餓鬼道に落ちる
やせ細ってのどが細くなり飲食することが出来ない
常に飢渇に苦しむ境涯
利他とは無縁の境涯
お釈迦様は「布施」をしなさいと言われている
仏教を勉強している人は布施 寄付はする
気持ちよく当たり前のように
しないと幸せとお金には無縁の境涯になるのを
知っているからね
「自利利他」だよ
「人はストレスもなく快適で平穏無事で人生を
終えたいと考えて生きている
自分のことだけを考え欲しいものが手に入らないと
悩んで過ごす
この思考では与えられれもせず実現はしない」
と説かれている
法則を知らないとこの生き方をするかも
しれないね
社会に還元し他人を利する生き方をしていれば
自ずと叶うようになると説かれている
この生き方すらもせず甘えて自己中に生きていると
いつか必ずしっぺ返しは来る
その時に真剣に捉え生き方を変えなければ
辛いことが更に起きる
言い訳や反発心を起こしたら
折角 教えて貰っているのこの生き方をしたら更に
持っている運気まで落とす
教えて貰えた時に猛省し生き方を変えたほうが
良いだろうね
人はどこで気がつくか なんだ
悪い心の癖はとっとと捨てておこう
先が更に難儀になるから
人生に苦難は多い
病気で苦しむ人も多くいる
難病であらゆる治療をし尽くしもう治らないと
言われている人が治る場合がある
「もう充分です あきらめました もう何も望みません」
というところまで到達した
無欲になり 命を差し出そうと決心した時
人の治癒力は無限なのかもしれない
奇跡って起きるから
何度も書いているけどこの生は
多くの生の中の1コマに過ぎないからね
一つの生くらい必死に生きてみるのも
悪くは無いと思う
又 次があるんだから
2022年 10月 20日 次ページへ