雑感51

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あの辛い震災から5年

お亡くなりになったお方達と

まだご遺体すら見つからず




手厚い弔いが出来ていない

方々全てにご冥福を

お祈りするとともに

1日も早く皆様が元気に

なられますように






気持ちの区切りになっていれば

いいんだけど  

なっていないお方たちも

多い事だろうと思う




今新しい生活ができて生き甲斐でも

見つけられていれば又気持ちも

違うんだろうけど



そんなお方ばかりでは

ないだろうからね




人は何時かは死ななくてはいけない

お別れすらできず

心の準備すらできず

本当に辛い別れだったと思う





なんであの子が 

なんでうちの人が

思いはみんな同じで未だに

納得する答えを見つけられて

いないかもしれないね






もし因果律でも知っていたら

又捉え方は少し違っていただろうと思う



もう5年とまだ5年では

気持ちの捉え方が違う




この世で偶然はないとある

残念ながら全て必然

起こるべくして起きた出来事






一つわかっているのは

又あっちで会える事

これは間違いない




霊界通信の書籍にちゃんと

書いてある

今暫しの別れです

覚えておいて欲しい



生命は永遠で終わりがないんだから

今世だけの生命が終わっただけです





ただ声が聴けない 姿が見えない

触れる事ができない 

ここらの物理的な辛さはある




お亡くなりになった方は墓地や

お墓の中にはいないよ

お墓は残された者の為に

あるんだろうと思ってる





あんな暗い狭いジメジメしたところに

いるのはみんな嫌だよ

借りていた体は返すんだけど

魂だけは自分のもの 

未来永劫






心配しなくても

今ちゃんとみんないるべき場所に

いるから

向こうからはこちらの様子は

わかるとある




心配かけないようにちゃんと

生きようね

心で思うといつでも傍に

来てくれるとあるよ








「自分の感情をどう処理しようかと

考える時  広い視点を持つことを

忘れないでほしい



あなたにはいつも2つの選択肢がある

一つは自分の感情と行動を

コントロールすること

もう一つは感情に流されて

行動することだ」





前者を選ぶとあちらに逝って

いる人は物凄く喜んでくれるだろうね





「明日という日は今日とは

まったく違う日だということを 

私たちは忘れてはいけない



過去から引きずっている問題は

自分あるいは 他人が原因であるか

どうかに関わりなく



私たちの心の中には自分を

変える為の答えがある

私たちの人生には意味があるのだ





明日という日は今日と同じではない

明日は今日の繰り返しだろうと

思っていてもそれはまったく別の日で

いつもと違った発見がある




何故なら1日1日が希望と可能性と

いう不思議な力で満ち溢れて

いるからだ




すべての生命は肉体を離れると

本来の意識的存在に戻る



肉体的な死(他界)は私たちにとって

新しい世界に旅立つ際のパスポート」




とある


いずれあわてなくても我々も逝くから

そうか 会えるのか〜 

なら自殺が早いかも



自殺したら そこからが本当の無間地獄



行くところが違うから会えないよ

しないほうが良いだろうね







今世は一瞬 あちらは永遠

急がなくていいよ

できる事を頑張ってして大きな顔して

会えば良いから




どうだ俺も頑張っただろうと奥さんに

威張れば良いし お母さんも頑張ったよと

子供さんに威張れば良い




悲しんで生きるのも人生

又会えるのを楽しみにして

生きるのも人生

自分の自由意志で決められるから




思いと行動が現実を

常に創り出すからね




冬の後に冬は来ない 

必ず春が来る



2016年 3月12日  次ページへ


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