雑感91 |
下層の事 既に書いてるから
ここらを更に
「人が死にゆく時に思う事」を
箇条書きにしているのがあった
ほとんどの人は後悔してる
これよく わかるんだ
因果律を知らない人が多くて
不安な中旅立っている と感じた
あちらに逝ってからでは 間に合わない
死ぬのがわかっていても何故か
死だけはリアルに
捉えられないからね
仏教で「臨終只今にあり」という
言葉がある
人は今日 今 死んでも
悔いのないように生きなさいという教え
深い教えだよ
座右の銘にしてる人もわりといる
人は死ぬのがわかって
いるのに忘れる
忘れてるふり をしてるんだけど
他人事のように考えて生きてるから
死に直結する病気にでもならない限り
真剣には捉えないだろうね
医者に余命を告げられた時
本気に考えるんだろう
気にしなくて良いよ
余命はあくまで余命
生き様で伸ばすことも
十分可能だから
ここでそれまでの思考
行動がものをいう
善根のみ積んできた人は
諸天が守るから
まだまだ善根を積ませてください
愛を与えたいんです と素直に
お願いすれば 良い
管理人は30代の時 一度
走馬燈をみてる
本当に幼少の頃からの画像が
頭の中でパノラマのように
浮かぶんだ
あぁここで死ぬのかと自分で
感じる時間もあった
車での雪道
行く時は雪がなかった
帰りは新雪が少し
積もってる状態
雪道でブレーキを踏んだら滑るのが
わかっているから
軽くポンピングを
即 向きを変え滑りだした
電信柱でかろうじて斜めに
止まったんだけど
その道は国道でなく25県道
人通りが少ない
遥か前方に1台のみ
何と 何と 前を走っていた車が
気にしてくれていて視界から
後続の車が消えたと
わざわざバックしてきてくれた
地獄に仏
管理人は32歳 その仏は19歳
人の情けを感じたね
ありがたかった
人は経験すると慎重に生きるようになる
悪い経験はする必要ないけど
起きることには
必ず意味があると思ってる
あちらに帰れば又本来の霊体に戻る
思考 境涯もまんまで
雑感を読んで少し楽に幸せになる人と
そうでない人もいるかもしれない
幸せになる人は更に思考と
生き方を変える
普通の人は悟れば変えるのは
当たり前だからね
そうでない人がいるとしたら今
しないといけないのが わかっていても
行動を起こせない人かもしれない
いるからね
ここらも長い間かけて出来上がっている
思考の違いなんだ 心の癖
今後厳しくなろうが どうなろうが
今のまま流れに逆らわず生きて
いくだけだと思っているだろうし
死にゆく瞬間に思うところに
逝けなくたって自分が自由に
生きていきたいし
後悔しないと本気で思って
いるんだろう
でもその時に本当に思えるだろうかね
持っていけるのはお金でも家でも
地位でも名誉でもないよ
人様に積んでる善根だけ
幸せの量は誰かを幸せにした量と
比例する
自分がいる場所は常に相応しい場所だと
あるからね
何かがあって移動したとしても
常にそこが相応しい場所になる
思うようなところに住めている人は
良い思考で生きているんだろう
ある書籍の内容
運が悪い人といたら運が悪いのが移る
運の良い人といたら運が良いのが移る
運も本人が持っているエネルギーだから
一緒にいて疲れると思う人は
運が悪いのかもしれない
蛇足だけど運にも匂いがあるとあった
運気を上げる方法はあらゆる頁に
書いてきてるから悪いかも
と思ったら実践したら良いと思う
運気がアップすると楽しい事が
増えるから
ここら辺まで雑感が読めていたら
もうかなりの事が理解できて
いるだろうと思うけど
普通の感覚の人は次元の事を
知る機会は少ない
次元を疑うのは知識不足も
あるんだけど
この肉体という鎧のせい
魂が閉じ込められているからね
ある書籍では牢獄の状態だと
表現している
何故 この次元は辛い事が多いのが
わかるだろうか
あちらではカルマをクリアすることも
魂も磨くことができないから
結果の世界だからね
思考の世界だから苦労することもない
欲しいものは瞬時に目の前に現れ
行きたいと思ったら次の瞬間は
既にそこに行ってる
肉体労働やお金の心配や病気なども
一切無い世界だからね
ここらは本当だろう かなりの書籍が
同じことを書いているから
地獄界では無理だけどね
幽界でも地表に限りなく近い
下の層は幽霊になりやすいところ^^
この3次元でしか 体を借りている時しか
修行ができないようになってるから
辛い辛い修行をクリアした人は
あちらでは至福の境涯に近いと
いうことを悟れるよ
本当は辛い事がいっぱい
あった方が
理屈では幸せになりやすい
でも 出来たら避けたいのが本音^^
でも今の苦悩は10年 20年先に
比べたら取るに足らないと思っている
せめて縁するお友達くらいは先で
泣かなくてすむようにと
思っているから
熟読して悟ってくれたらいいな と
残念ながら情報を追うとこんな
結論が出る
みんなが良い思想に変わり
慈しむ心が増え始めたら
変われるかもしれないけど
現状を見ても悟ってる人は
わずかだから
それでも我々は更に霊格を
上げるためにいずれここに来る
神性が完璧になるまでだから
カルマから常に逃げ修行もせず
好き勝手に生きていて思うような
ところに逝きたい
と思うのは無理だとわかると思う
恩寵を受けられるのは常に人の為に
尽くしカルマをクリアした人達
しただけだから 因果律は
今後は厳しいのがわかって
いるんだから
お金に嫌われないような
生き方をしようね
自分の為のみに使っていたら
どんどん貧乏になるよ
病気の中でも「金欠病」はなかなか
治りにくい
じっくり根治治療が必要
これも以前書いた
「幸運とは自分が望んでも与えられず
自分が「する行為」を判定されて
幸運の方からついてくるもの」
「お金を貯めたかったらまず
信用を貯めろ」
誰かの為に縁する人の為に使う
無い時からでも これが大事なんだよ
ある時に使えるのは当たり前
無い時から 必ず無欲で
無い時にするのは価値がある
お金は人に使って循環させないと
思うような人生は
送れないようになってるから
循環させてるから戻るということ
お金の使い方で幸せになる人と
不幸になる人とに
別れるのは本当なんだ
この3次元だけはお金も愛になる
お金をたっぷりあげることは
愛をたっぷりあげる事と同じ
お金は寂しがり屋だから
お友達が沢山いるところに
寄りやすい性質がある
自分以外の人に惜しげもなく
たっぷり使える人にも
寄りやすい 生き金を使える人だよ
そして待遇の良いところに望んで行く
来たら離すもんかと遊びにも行かせて
くれないところには 行かない
それとお掃除も出来ていない
汚いところにも
間違いなく行かない
綺麗好きだからね お金は
いらない物でも捨てられない
片付けできない
いるからね こんな人も
お友達すら家にも呼べないだろうね
決断力 判断力も無くなると
これが起きる
ゴミの片づけと思っているけど
実は心の片づけ
根本的には心の問題
認知症にでもなれば
ありなんだけどね
ここらは若い頃からの
思考であり習慣
本人は慣れてしまって気にもしない
面倒な事は根本的にしないで
生きてる
どうぞ貧乏にさせてください
と願うのと同じ
どこかで変えないと死ぬまで続く
残念な生き方
沢山はいらないんだよ
食べるのに困らない程度と
愛を与えようとする時に気持ちよく
与えられる程度で
どうせ あちらには持って逝けない
ありすぎるとね 執着するんだよ
今世に
それをすると逆に良いところに
逝けないから
人様に迷惑をかけない程度で良い
ただね あまりにも無さすぎるのも
これまた辛いからね
愛を与えたくてもできない
無いと惨めだからね
人生を捨て世を恨みやすい
今無いけどしたい でもしたい
この気持ちを持ち続けていたら
出来るようになるよ
素直な人はお金に縁しやすい
この言葉は以前にも書いた
「本当に金持ちになる為には
「貰うだけではなく「与える」ことも
できなくてはならない
お金を与える事は富を維持する為の
秘訣でもある」
管理人はお金持ちではないけど
若い頃からこの言葉を信じて
実践してきた
愚痴ばっかり言っててはダメだよ
どんどん悪いエネルギーを貯め込む
お金に嫌われてはつまらない
猜疑心の強い人や心理が
到達してない人は
悟れと言っても無理な
内容だけどね
ここらはね 自分で自分を
信じられない人は
出来ない
自分は儲けられないからそんなお金
出せない になる
常に出せる人は自分は儲けられると
信じてるからばんばん人に遣う
思考もポジティブだからね
「人間の全ての苦しみは
執着することから生じる」
全てのものはお借りしてるんだよ
お金も家も体も何もかも
自分のものは積み上げた善根のみ
1万円を与えたらいずれ
1万円が遊びに来る
10万円を与えたらいずれ
10万円が遊びに来る
100万円を与えたらいずれ
100万円が遊びに来る
1000万円を与えたらいずれ
1000万円が遊びに来る
この言葉はどこかで以前
書いてると思う
儲けるという字は 信じる者 と書く
幸せを選ぶのか不幸を選ぶのか
2つに1つ
今世だけはお金は必要だから
素直にゆっくり循環させていけば
いずれ循環させた分だけは
望まなくても自分が手に入れて
いるのを悟るだろう
その生き方をしてゆっくりお金と
お友達し始めると
思うように更に善根を積める
ますます良い流れを引き寄せる
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬ なりけり」
2017年 8月 3日 次ページへ